人気俳優の高橋一生さんの生い立ちが壮絶すぎると話題になっています。
なんと父親は3人で、5人の異父兄弟で育ち、
母親が毒母でその毒母エピソードが壮絶すぎるんです。
今回は高橋一生さんの
- 壮絶すぎる生い立ち
- 毒母の壮絶エピソード、10年絶縁後死別
- 3人の父親と5人兄弟との関係
- プロフィール(子役時代の映像もあり)と最近の活動
などについて詳しくお届けします。
高橋一生の生い立ちが壮絶すぎる!
母親が18歳の時に高橋一生を出産
高橋一生さんの母親は18歳という若さで、長男である高橋一生さんを出産しています。
生まれは東京都の赤坂という一等地なので、
高橋一生さんさんのお母さんの実家はお金持ちだった可能性が高いです。
その母親の裕福な育ちが後に、
高橋一生さんを波乱万丈の人生にさせていきます。
幼少期は塞ぎがちだったので児童劇団へ
高橋一生さんは幼少期とても塞ぎ込みがちで、
それを見かねた祖母が様々な習い事をさせてくれましたが、どれも長くは続きませんでした。
しかしその習い事の中でも『児童劇団』だけは、
定期的にある発表会で祖母が高橋一生さんの演技を見て泣いて喜んでくれました。
さて、ここから高橋一生さんの人生が壮絶なものへ変化していきます。
毒母とは絶縁後死別、父親3人と異父弟4人!
高橋一生さんの母親は自由奔放な女性で、複雑な家庭に育ちました。
どのような家庭環境だったのか、見ていきます。
高橋一生 父親3人、5人の異父兄弟
高橋一生さん、育った家庭環境がかなり複雑で、
母親は3人の男性と結婚離婚を繰り返し、
それぞれの男性に高橋一生さんも含めた5人の男の子を産んでいます。
【1人目の父親】
長男:高橋一生(俳優、40歳)
【2人目の父親】
次男:デザイン系の仕事、年齢不明)
三男:安部勇磨(ミュージシャン、30歳)
【3人目の父親】
四男:(職業不明、年齢不明)
五男:(寿司職人見習い、21歳)
高橋一生さんと1番下の弟とは18歳も年が離れているので、
いつも生まれたばかりの弟のオムツ替えをしていたそうです。
ここで、高橋一生さんの弟で三男は、
同じ芸能界で活躍しているミュージシャンなので、少しご紹介します。
⬆︎この画像は高橋一生さんがテレビ番組『A-studio』に出演した際に、
実弟の安部勇磨さんとMCの笑福亭鶴瓶さんが共演している時のもの
三男は安部 勇磨(あべ ゆうま)さんといって、
never young beach(ネバーヤングビーチ)という4人組のロックバンドを組んで、
2017年にメジャーデビューし活動しています。
弟の安部勇磨さんによると、
うちは親父が3人いるんですね。
長男の親父。次男と俺の親父。あと、四男と五男の父親ですね。
でも、いちばん最初の父親以外はみんな死んじゃっいて。
とインタビューで告白しています。
しかし、高橋一生さんの父親=1番目の父親は高橋一生さんが幼稚園の頃(5歳頃)に亡くなったという情報もあります。
どちらにせよ、高橋一生さんが子供の頃に父親が3人変わり、
その2〜3人の父親をすでに見送っているということになりますね。
高橋一生 毒母とは10年絶縁後、死別
高橋一生さんはお母さんの度重なる日常的な毒母ぶりに、
(※この後の章で詳しく毒母エピソードをお届けします)
嫌気がさし、『縁を切る』と言って家出したそうです。
そのまま10年ほど経った頃、弟の安部勇磨さんから連絡が。
それは母親の病気の知らせでした。
しかしその連絡があってもなお、
高橋一生:
『顔を合わせると喧嘩になるから、もう少し(母親が)弱ってから会いに行く』
と言って会いに行きませんでした 。
その後、しばらくしてやっと会いに行き、
その時には肺がんが進行し痩せ細っていて、
母親:
『ごめんね、今まで。』と何度も謝りました。
その言葉に対し、
高橋一生:
『もう、大丈夫。弟は自分が何とかするから、ゆっくり休んで』
と母親に声をかけ、その後1週間で母親は旅立ちました。
それは2015年の夏、まだ53歳だったそうです。
幼い時から、母親からの壮絶な言動に苦しめられながらも、
最期は母親を受入れ許した高橋一生さん。
今でも複雑な思いを抱えて生きているのかもしれません。
母親の毒母ぶりとは、一体どのようなものだったのでしょう。
壮絶な毒母エピソードをお伝えします。
高橋一生 毒母エピソードが壮絶
子供たちに友人宅のお金を無心させる
弟の安部勇磨さんの話によると、
母親は子供達の友人までにも、お金を無心させていたようなんです。
高橋一生さんの弟の安部勇磨さんによると、
中学1年生の頃、仲のいい女の子がいて、俺はその子のことが好きだったんです。
その子は裕福な家庭の子だったらしく、
『あの子の親から100万円借りてこい』って母親に言われて(笑)
ちょっとあり得ない感じですけど、本当の話で、
安部勇磨さんは好きだった女の子の母親に、
安部勇磨さん
『100万円貸して欲しい』
ってお願いしたそうなんです。
すると、女の子の母親は
女の子の母親は
『私は勇磨が好きだから、勇磨に100万円貸すよ。あなたのお母さんに貸すんじゃない、勇磨に貸すんだ』って言ってくれて。
どんだけ、毒母なんでしょう。
弟の安部勇磨さんもまだ自分が幼くて母親のことが怖いから、
無理難題な要求にも答えていたのかもしれませんね。
勝手に子供の私物を売る
幼少期には、自分の友人の親にまでもお金を借りてこさせる毒親だった高橋一生さんの母親。
そのうち、家のお金が無くなってくると、
母親が、高橋一生さんの車を勝手に売ってしまった
そうなんです。
幼少期から様々な仕打ちを受け、
それに一生懸命耐えてきた高橋一生さんも、ついに我慢が出来なくなって、
高橋一生さん『縁を切る』
と言って、家を出てしまったそうです。
そのまま10年ほど絶縁状態になり、
先ほどお伝えしたように母親が病気でなくなる1週間前に再会し、亡くなったそうです。
母親の金遣いが荒すぎる
高橋一生さんの母親は元はお嬢様育ちだったようで、
金銭感覚が麻痺していたようなんです。
高橋一生:
『お金の遣い方がすごく荒いママで。
3、4年くらいどっかで働いて、その蓄えで自営業を始めるんですけど、それがいつも半年くらいで潰れちゃうんですよね。
その繰り返しだから、だいたいW杯くらいの周期でうちは貧困期を迎えるんですよ』
経済的に厳しい状況になっても、なぜか、
母親:『世田谷から離れたくない』
と言って、ずっと閑静な高級住宅街で富裕層が住む都心の街から離れなかったようです。
母親は幼少期にかなり裕福だったようなので、
一般的な経済感覚に乏しい、
行き当たりばったりの生活をしていたのでしょう。
それに振り回される、5人の子供たちにとってはかなり劣悪な環境だったように推測されます。
子供をけなして否定する
テレビ番組『A-studio』に出演した際に、
高橋一生さんが母親がいつも言っていたことについて語っています。
鶴瓶:『小さいとき、「あんた、たいした顔してないんだから、近所の兄ちゃんの役したらいいのよ」ってよく言われたんやろ』
高橋一生:
『よく言われました。「となりのあんちゃんを目指しなさい、あんたなんか」みたいな』
母親に顔のこと言われても、そこまで凹まないかもしれませんが、
『あんたなんか』って言われたら、完全に存在を否定しているように感じでてしまいますよね。
経済的な問題だけでなく、精神的にも親から攻撃されると、
生きる意味や存在価値までも自分で否定してしまいそうです。
高橋一生さん、よくあんなに優しく、包み込むような暖かい雰囲気で、
壮絶な生い立ちを聞くと、本当に尊敬しますね。
高橋一生のプロフィール
名前:高橋 一生(たかはし いっせい)
生年月日:1980年12月9日日 40歳
血液型:O型出身地:東京都港区赤坂
身長:175cm特技:スケートボード、バスケットボール、ギター、ブルースハープ(ハーモニカ)
趣味:自転車、山登り事務所:舞プロモーション
1990年、(10歳)、子役として映画『ほしをつぐもの』で映画初出演。
1995年、スタジオジブリ製作の映画『耳をすませば』では主要キャラクターの声優を演じています。
2004年のドラマ『怪奇大家族』で連続ドラマ初主演し、NHK大河ドラマなど数多くのドラマや映画に出演。
2015年ドラマ『民王』、2017年ドラマ『カルテット』の出演を機に、
高い演技力やビジュアルに注目が集まり、ブレイク俳優ランキングで首位になります。
その後は、皆さんご存知の通り、映画・ドラマ・舞台・CM・雑誌等で大活躍です。
今後も俳優としてだけでなく、
さらに円熟味の増したエンターテイナーとして活動の場を広げて行って欲しいですね。