村上宗隆の父親は不動産社長!母親は身長170cm超の元選手で兄弟は?

東京ヤクルトスワローズの内野手として活躍中のプロ野球選手・村上宗隆(むらかみ むねたか)選手。

本塁打・打点部門は敵知らずで、その圧倒的な強さと才能に注目が集まっています。

そんな村上宗隆さんの両親(父親・母親)や兄弟も気になりますよね。

また、村上宗隆さんの幼少期はどんな子供だったのでしょうか。野球の神童だったのでしょうか。

そこで今回は、
・村上宗隆の父親は不動産会社社長で元球児?父親の教育方針は?
・村上宗隆の母親は元バレーボール選手だった?
・村上宗隆の兄は社会人野球の選手?弟は元甲子園球児?
・村上宗隆の幼少期のエピソード

などなど、村上宗隆さんのプライベートな話題をてんこ盛りお届けしていきます。
それでは、早速いってみたいと思います。

目次

村上宗隆の父親(公弥)の職業は不動産会社社長

【顔画像】村上宗隆の父親は不動産会社社長

村上宗隆選手の父親の顔画像

村上宗隆さんの父親は村上公弥(むらかみ きみや)さんという人で、熊本市で不動産会社社長を務めています。

2007年頃まで地元建設会社で10年勤務した後、独立して『ムラカミ不動産』を設立。

事業内容は不動産の売買及び仲介で、
会社の拠点は熊本市中央区九品寺にある本社のみとなっていました。

村上宗隆選手の父親の会社概要

おそらく零細から中小規模の会社ですが、一から会社を設立し運営してきた手腕は凄いですね!

村上公弥さんは手堅い経営をしているようで、今後は息子の村上宗隆選手の知名度で、徐々に成長していくんじゃないでしょうか?

村上宗隆の父親も元球児

村上宗隆さんの父親・村上公弥さんは、熊本工大高等学校(現文徳高等学校)を卒業しています。

熊本工大高等学校在学中は、高校球児としてショートを守り活躍していたそうですよ。

ただ、右肩の怪我が原因で野球を断念した苦い過去があったようです。

村上公弥さんには宗隆さん含めて3人の息子がいますが、
自身が野球の継続を断念したからといって、息子達に無理矢理やらせようとはしませんでした。

【村上宗隆さんの父親・村上公弥さん】
彼らには彼らの人生がある、それでも野球がしたいのなら努力だけは怠るな。

このような方針で子供達に接してきたなんて、とても良い父親ではないでしょうか?

公弥さんも野球少年だった。熊本の強豪校でショートを守っていたが、1年のときに右肩のケガで野球を諦めざるを得なくなった。加えて「中学に入ったら息子たちの人生」という考えもあり、野球に関して強制したことはない。「頑張りたいなら頑張れ、努力だけは怠るな」というスタンスで接した。

日刊ゲンダイ

村上宗隆の父親の教育方針

村上宗隆選手の家族の画像

村上公弥さんは子供達を決して甘やかすのではなく、挨拶や食事のマナーに厳しかったそうです。

例えば、村上宗隆さんが小学校だった頃、こんなエピソードがあります。

小さな声で返事をすれば、このように叱ったと言います。

【村上宗隆さんの父親・村上公弥さん】
「そんな小さな声じゃ相手に伝わらない」

他にも、食事の際はちゃぶ台を囲み正座して食べたり、
箸の持ち方やご飯の食べ残しに厳しかったり
等々、厳格な教育方針があったことがうかがえます。

次男である村上が小学生のころ、小さな声でおざなりな返事をして、「そんな小さい声で人に伝わると思っているのか。伝わって初めて返事なんだ」と叱ったことがある。挨拶や食事のマナーも同様だった。

日刊ゲンダイ

村上宗隆の母親(文代)は身長170cmの超の元バレーボール選手

村上宗隆の母親は元バレーボール選手

村上宗隆選手と両親の顔画像

村上宗隆さんが188cmで、更に長男は193cm、三男は190cmと、
3人ともスポーツをする為に生まれてきたような恵まれた体を持つ村上三兄弟。

村上宗隆さん3兄弟の母親・村上文代さんも170cm超の高身長でした!

女性としては十分な身長ですが、高校時代はバレーボール部のアタッカーをしていたという情報を発見!

きっと村上宗隆さんたち兄弟は、高身長の母親の遺伝子を色濃く受け継いだのでしょう。

母の文代さん(46)は身長が170センチほどあり、高校時代はバレーボールのアタッカーだった。

日刊ゲンダイ:https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/218676/2

村上宗隆の母親は料理上手

村上宗隆選手の顔画像

村上文代さんはチキン南蛮や唐揚げに、100個にも及ぶ餃子まで、

愛情の込もった手作りの料理を子供達にたくさん作ってあげるそうです。

三兄弟は母親の手料理なら何でもいっぱい食べたからこそ、あそこまで高身長になれたとも言えるでしょうね。

毎日のように料理を作るのは大変な作業ですが、
彼らの成長の為に献身的にサポートする母親の村上文代さんの姿が思い浮かびます。

村上宗隆の母親・村上文代さんが料理上手だということは、夫・村上公弥さんがインタビュー中に明かしていました。

夫・村上公弥さん】
「母ちゃんのうまいメシば食って大きく育てたかったんですよ!」

村上宗隆の兄(友幸)は社会人野球の選手で身長193cm

村上宗隆の兄(友幸)の現在はテイエステックの投手

村上宗隆選手の兄の顔画像

ヤクルト村上宗隆さんの野球界での活躍は、目を見張るものがありますよね。

でも村上宗隆さんの兄・村上友幸さんも身長193cmの社会人野球の選手!

幼い頃から野球をしてきて、2021年の春にはテイ・エステック社野球部ピッチャーとしてデビュー。

甲子園出場が叶わなかったり、東海大学時代に肘の怪我に悩まされた時もあったようです。

それでも諦めずに野球を継続し、
右投げ右打ち投手として最速149キロもの高速球を投げられる選手にまで成長しました。

ヤクルト・村上宗隆内野手(20)の兄・友幸投手(22)が、社会人野球のテイ・エステック(埼玉)で今春にデビューする。自動車内装品メーカーの同社野球部は新たに登録された企業チームで11日、埼玉・鴻巣市で始動。193センチ、104キロの最速149キロ右腕はキャッチボールなどを行った。

サンスポ

村上宗隆の兄(友幸)の夢は高校教師だった

村上宗隆選手の兄の顔画像
スポニチ

長年、野球に取り組み、徐々にではありますが頭角を現してきた村上宗隆さんの兄・村上友幸さん。

当初の夢は野球選手ではなく、高校教師だったそうです。

野球選手に方向転換した理由は不明ですが、
弟・村上宗隆さんのプレイを見てきて、影響を受けたのかもしれませんね。

野球で優秀な成績を収める弟・村上宗隆さんと比較された兄・村上友幸さん。
しかし、良きライバルとして切磋琢磨していったようですね。

村上3兄弟の父親の村上公弥さんも、息子たちの進路についてインタビューでこう述べています。

【村上家の父親・村上公弥さん】
高校選びは本人の意思ですね。長男・友幸は高校の教師になりたかったので、大学付属の東海大星翔から東海大学に進みたいと言っていました。結果的に今も社会人チームでやらせてもらっていますが

村上宗隆の弟(慶太)は元甲子園球児

村上宗隆の弟(慶太)は元甲子園球児

村上宗隆選手の弟の顔画像

次は村上家の三男・慶太さんです。村上宗隆選手の弟になります。

村上宗隆の弟・村上慶太さんは九州学院の内野手として、甲子園への出場経験があるんです!

結果は準々決勝敗退となりましたが、
初戦では4番一塁でスタメン出場し、8回に左翼フェンス直撃の二塁打を放つなど兄譲りの打撃センスを披露しました。

ちなみに甲子園初戦での勝利は兄・村上宗隆さんも達成出来なかった快挙です。

それどころか準々決勝まで進出したのだから、将来大いに活躍する可能性がありますね。
兄弟揃って今後の活躍が楽しみです。

偉大なる兄・村上宗隆選手に追いつき追い越す時も、そう遠くないうちに訪れるかもしれませんね。

ヤクルト村上宗隆内野手(22)の弟の九州学院(熊本)・村上慶太内野手(3年)が、甲子園デビューした。「4番一塁」でスタメン出場。兄と顔も構えもそっくりな弟が聖地でお披露目され、6回の第4打席で三塁打を放った。右手1本で大飛球。8回には左翼フェンス直撃の二塁打で、兄ゆずりの非凡な打撃センスを見せた。

日刊スポーツ

村上宗隆のプロフィールと幼少期のエピソード

村上宗隆のプロフィールと経歴

・名前:村上宗隆(むらかみ むねたか)
・生年月日:2000年2月2日 22歳(2022年現在)
・出身地:熊本県熊本市東区
・身長:188cm
・体重:97kg
・年俸:2億2000万円(2022年現在)
・ポジション:内野手
・学歴:九州学院卒業

村上宗隆選手の高校は野球の名門・九州学院で、野球部1年時から一塁手のレギュラーに定着していました。

ただ、2015年夏の甲子園大会初戦(遊学館高等学校)との試合では、無安打に終わり初戦敗北という結果に。

その後は2年夏と3年夏の熊本大会決勝で秀岳館に敗れているので、甲子園に出場したのは1回のみでした。

村上宗隆選手の高校時代の顔画像

通算52塁打という優れた長打力が注目され、2017年ドラフト会議でヤクルトと8000万円で契約を結びます。

ヤクルトに入団してからは圧倒的なスイングスピードを活かして、チームに大きく貢献。

シーズン55本塁打を達成し、日本記録の60を越えそうな勢いには驚愕しました。

なので野球界の革命児と言っても過言ではないですね。今後の村上宗隆選手の更なる活躍が楽しみです。

村上宗隆の幼少期のエピソード①:野球との出会い~熊本リトルシニア入団

村上宗隆選手の幼少期の顔画像

村上宗隆さんが野球と出会ったのは幼稚園に入園する頃で、当時はまだプラスチックバットを振って遊ぶ無邪気な少年でした。

幼稚園に入園した3歳のときにはもう家でプラスチックのバットを振って遊んでいた。

日刊ゲンダイ

村上宗隆選手は4歳になると長嶺地域スポーツクラブに入団し、野球の練習をスタート。

しかし初めから野球の練習が好きというわけではありませんでした。

キャッチボールの球が当たったり鼻から血を流しただけで、練習に行くのを嫌がっていたようです。
しかし、村上宗隆選手は父親からこう言われ、野球を続けたと言います。

【村上宗隆選手の父親】
中途半端に終わらせず最後までやり通せ

最初は遊びのつもりだった野球ですが、
小学校4年生になると熱心に取り組むようになり、硬式野球チームの『熊本東リトルシニア』に入団したのは6年生の時でした。

当初は軟式球を使ったキャッチボールを捕り損ねて鼻血を出し、練習に行くのを嫌がっていたが、父は「男なら一度やると決めたことは最後までやり通せ」と言って背中を押した。小学4年で小学校の野球部に入部すると本格的に野球に没頭した。

日刊ゲンダイ

村上宗隆の幼少期のエピソード②:ひたすら素振りの毎日

そんな息子の為に父親の村上公弥さんは、ティー打撃より素振りを重視した特訓を提案。

【村上宗隆選手の父親】
「10本でもいいから納得するまで振りなさい」

と声をかけ、ある時は2メートルの物干し竿で素振りをさせたことも!

村上宗隆さんは練習や試合を終えて家に帰宅すると、ひたすら素振りをする日々を送っていたそうです。

何本素振りをしていたかというと、自分が納得するまで。

同じ動作の繰り返しを飽きずに継続するのは、なかなか出来ることじゃないですよね。

自宅では常にバットを握っていました。庭で窓に反射する自分と向き合いながら毎日素振りをしていました。「10本でもいいから自分が納得するまで振りなさい」と話していましたが、納得いかなければ延々と振っていました。

サンスポ

村上宗隆の幼少期のエピソード③:引っ張り禁止令の発動

村上宗隆選手の中学時代の顔画像

熊本東リトルシニア在籍していた小中学時代の村上宗隆さんは、打撃練習中に近隣の民家に球を直撃させたエピソードがあります。

右翼85mのグラウンドでネットは地上13~14mも高い位置。

更に監督は「なるべく左中間方向に打て」とアドバイスするも、なんと110m後方にある小屋に直撃したのです。

これはまずいと思った監督は『引っ張り禁止令』を発動!

つまり引っ張るのではなく左方向に飛ばす練習をするように指示を出し、村上宗隆さんはその練習を繰り返していきます。

後にそれが村上宗隆さんの強みになったそうですよ。

引っ張り禁止。ならばと左方向へかっ飛ばす練習を黙々と繰り返した。コンパクトにではなく、遊撃手のはるか上へ向かって、左中間に飛ばす。フルスイングは絶対に崩さなかった。

日刊スポーツ

村上宗隆のドラフト時の評価

村上宗隆選手の顔画像

2017年開催のドラフト会議当時、村上宗隆さん獲得の為に動いたのは、
・東京ヤクルトスワローズ
・読売ジャイアンツ
・楽天ゴールデンイーグルス の名門3球団!

抽選の結果、村上宗隆さんを獲得したのは、東京ヤクルトスワローズでした。

当時は内野手の清宮幸太郎さんを7球団が狙っている形でしたが、決して村上宗隆さんの実力が劣っていたわけではありません。

スカウト担当者達のなかには、打球方向がライトに偏っていることを心配する声もありました。

一方、村上宗隆さんの場合の練習量は清宮さんの2倍!と言われています。

にもかかわらず怪我をせず、絶対に諦めない強いメンタルを持っていると評価されています。

また左中間方向にも放物線で飛距離を伸ばしていた他、キャッチャーとしての期待もあったようです。

打撃だけじゃなく守備面でも優れている・・・スカウト担当者の人達はより多角的に観察していたんですね!

「1年でファーストで甲子園に出てきて、体つき見たら、やっぱりファーストだけかなぁ……と思ったら、そのあとキャッチャーやったでしょう。それが、さまになってるんですよ。今考えると、去年の松川(虎生、市立和歌山高→ロッテ)みたいにドッシリとして、キャッチングもスローイングも、立派に“キャッチャー”なんですよ」

週刊文春:https://number.bunshun.jp/articles/-/854304?page=3

【まとめ】村上宗隆の父親は不動産社長!母親は身長180cmの元選手で兄弟は?

村上宗隆さん本人と家族について考察してきましたが、いかがでしたでしょうか?

・村上宗隆の父親の村上公弥はムラカミ不動産の社長
・父親の村上公弥は右肩の怪我で野球を断念していた
・母親の村上文代は高校時代にバレーボールのアタッカーをしていた!

村上宗隆の兄の村上友幸)は社会人野球の選手だった
・村上宗隆の弟の村上慶太は甲子園準々決勝出場経験あり!

等々、気になる話題を盛りだくさんでお伝えしてきました。

村上宗隆さん本人はもちろん、家族も互いを思いやる気持ちにあふれた優しい人ばかり。

これからの村上宗隆選手の活躍にも目が離せませんね。

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