眞子さまの母親の秋篠宮妃・紀子(きこ)さま。
長女の眞子さまと小室圭さんの結婚で、
世間から厳しい声が続く中、
紀子さまの父親の川嶋辰彦(かわしまたつひこ)さんが倒れ
緊急入院したと報じられました。
川嶋辰彦さんについて調べてみると、
紀子さまの父親問題として、
過去に御所に怒鳴り込みをしていたと報じられています。
いったいどんな理由があったのでしょうか?
そこで今回は
・紀子さまの父親・川嶋辰彦さんが御所に怒鳴り込みとは?
・怒鳴り込みの理由は、
秋篠宮さまのタイ愛人疑惑と堕胎説?
などについて詳しくお届けしていきます。
紀子さまの父親(川嶋辰彦)とは?職業や学歴は?
紀子さまの父親(川嶋辰彦)とは?職業や学歴は?
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紀子さまの父親・川嶋辰彦さんの職業は、
学習院大学名誉教授で、経済学・統計学のスペシャリストです。
川嶋辰彦さんの『川嶋家』の家系は、
辰彦さんの父親(紀子さまの父方の祖父)は内閣統計局長、
曽祖父は学習院大学の教授、
辰彦さんの兄弟やその夫もみんな大学教授など、教育関係者が多くいます。
東京生まれの川嶋辰彦さんの学歴がこちらです。
【紀子さまの父親・川嶋辰彦さんの学歴】
・1959年、東京都立戸山高等学校卒業
・1964年、東京大学経済学部卒業
・1966年、東京大学大学院経済学研究科修士課程修了
・1969年、ペンシルベニア大学大学院修士課程修了
・1971年、ペンシルベニア大学大学院博士課程修了
アメリカの名門私立大学アイビーリーグの1校でもある
ペンシルベニア大学に留学し、卒業した後も
華麗なる職歴です。
![紀子さまの父親が御所に怒鳴り込みの理由は?タイ愛人疑惑と堕胎説の真相](https://marublog.biz/wp-content/uploads/2021/10/スクリーンショット-2021-10-24-1.05.20-600x337.png)
【紀子さまの父親・川嶋辰彦さんの職歴】
・1972年、ペンシルベニア大学大学院専任講師
・1973年、学習院大学経済学部助教授
・1976年、学習院大学経済学部教授
・1977-1979年、国際応用システム分析研究機構主任研究員
・1977-1979年、国際応用システム分析研究機構主任研究員
・1977-1979年、国際応用システム分析研究機構主任研究員
・2011年、学習院大学名誉教授
川嶋辰彦さんは学習院馬術部大学部長で、
上皇さま一家とは武の会合を通じて面識があったそうです。
また、上皇さま・天皇陛下・秋篠宮さまなど
多くの皇室関係者は学習院に席を置かれるので、
学習院大学の川嶋辰彦教授としてすでに面識があったと思われます。
紀子さまの父親(川嶋辰彦)の妻は川嶋和代
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川嶋辰彦さんの妻(紀子さまの母親)の名前は、
川嶋和代(かわしまかずよ)さんと言います。
川嶋和代さんは1941年2月28日生まれの
2021年現在80歳になります。
紀子さまの母親の和代さんの家系の『杉本家』は、
戦前のエリート会社員である満州鉄道に勤める家系です。
和代さんの父親(紀子さまの母方の祖父)は、
満州鉄道総局副参事という要職に就かれています。
また曽祖父・高祖父も満州鉄道の出身者です。
和代さんは名門の静岡英和女学院中学・高校に進学し、
その後、昭和女子短期大学を卒業しています。
短大を卒業後は、静岡市の会社に勤務後、
1964年10月に川嶋辰彦さんと結婚しています。
川嶋辰彦の子供は紀子さまと弟の舟
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川嶋辰彦さんと妻の和代さんの長女として、
1966年9月11日に静岡県で紀子さまは誕生しました。
2021年現在、紀子さまは55歳になります。
ちなみに、『紀子さま』のお名前ですが、
紀子さまの父方の祖母の名前は、
『紀子』と書いて『いとこ』さんと呼びます。
父親の川嶋辰彦さんは紀子さまが生まれた当時、
東京大学大学院の学生で、
留学のため一家はフィラデルフィアに引っ越しています。
紀子さまが誕生した7年後に、
弟の舟(しゅう)さんが誕生しています。
紀子さまの弟の舟(しゅう)さんは、
東京大学大学院獣医学卒の獣医師で、
現在、東京農業大学農学部准教授をされています。
【川嶋辰彦の子供】
・川嶋紀子(かわしまきこ) 現在の秋篠宮妃紀子
生年月日1966年9月11日 55歳(2021年現在)
・川嶋舟(かわしましゅう) 職業は獣医師
生年月日1973年7月26日 48歳(2021年現在)
紀子さまと秋篠宮さまの馴れ初めと結婚
紀子さまと秋篠宮さまの馴れ初め
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紀子さまの父親・川嶋辰彦さんの
『皇室怒鳴り込み』報道を見ていく上で、
深く関係するのは、紀子さまと秋篠宮さまの出会いと結婚。
学習院大学に入学した紀子さまは、
1年先輩の秋篠宮さまに出逢います。
【紀子さまと秋篠宮さまの馴れ初め】
秋篠宮さまは学習院大学の本屋で紀子さまと出会います。
その後、大学内で秋篠宮さまがさまが主宰しているサークル
『自然科学研究会』に紀子さまを勧誘し、
交際をスタートさせます。
紀子さまと秋篠宮さまのプロポーズと結婚
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1986年6月、サークルでの飲み会の帰りでのこと。
信号待ちをしていたところ、
秋篠宮さまは、当時20歳の紀子さまにこのように言います。
【秋篠宮さま】
私と一緒になってくれませんか?
と、紀子さまにプロポーズしたと言います。
すると、紀子さまは、
【紀子さま】
よく考えさせていただけませんか?
とすぐに返事はせず、
その後、二人は1989年9月に婚約内定が発表されています。
確かに、当時まだ紀子さまは20歳で、大学2年生です。
まずは大学を卒業するまでは、
という思いがあったのかもしれません。
昭和天皇の裳が開けた1990年(平成2年)1月12日に納采の儀が行われます。
その後、1990年6月29日に結婚の儀が行われています。
それから、しばらくして
紀子さまの父親の皇室怒鳴り込み報道が報じられます。
紀子さまの父親問題とは?御所に怒鳴り込み報道
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娘である川嶋紀子さんと秋篠宮さまが結婚した際に、
父親の川嶋辰彦さんは皇室に怒鳴り込みをしたと報じられています。
しかもその川嶋辰彦さんが怒鳴り込みをしたのは、2回も。
紀子さまの父親・川嶋辰彦さんが
『怒鳴り込み』した理由と言われているのは、この2回。
ひとつは、秋篠宮さまにタイに愛人がいると報じられた時。
次は、紀子さまが結婚前に妊娠してしまい、
紀子さまに堕胎させた時、と言われています。
それではひとつずつ詳しく見ていきます。
怒鳴り込みの理由はタイ愛人疑惑と堕胎説?
秋篠宮さまのタイ愛人疑惑とは?
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この話は秋篠宮さまと紀子さまが結婚した後のことです。
1996年4月17日の夜、アメリカのクリントン大統領が
来日した際の宮中晩餐会が行われた際のこと。
その宮中晩餐会を秋篠宮さまは欠席しています。
その欠席理由は、4月17日〜23日の日程で
タイのメコン川のナマズ捕獲儀式の研究と重なったためだったそうです。
当時、秋篠宮さまは公務よりも、
自身の研究を優先させたとして、世間から大バッシングを浴びます。
しかし、この時の欠席の本当の理由は、
下記なのでは?と当時報じられています。
【秋篠宮さまに流れた当時の憶測】
・アメリカ大統領の晩餐会よりも大事な用事がタイにある?
・タイに愛人がいるのでは?
・今回は愛人に会いにいくのが目的
・殿下は女好き
これらの憶測が流れたため、
紀子さまの父親である川嶋辰彦さんが御所に怒鳴り込んだと、
当時の週刊誌『週刊新潮』が報じています。
しかしこの報道に対して、
秋篠宮さまは1996年11月20日の誕生日の会見で、
下記の通り、報道に対して否定しています。
「根も葉もない女性問題に話が広がっていった」
朝日新聞 1996年11月30日
「そういうことは全くない。火のない所に煙が立った」
「非常に想像力が豊かな人が記事を書いたのだと思う」
「完全に事実と異なる報道がなされた。不満を持っています」
秋篠宮さまの紀子さま堕胎説とは?
![紀子さまの父親が御所に怒鳴り込みの理由は?タイ愛人疑惑と堕胎説の真相](https://marublog.biz/wp-content/uploads/2021/10/スクリーンショット-2021-10-24-1.02.29-600x364.png)
もう一つ、紀子さまの父親の川嶋辰彦さんが
御所に怒鳴り込みをしたと報じられた理由として、
紀子さまの堕胎が理由では?と報じらています。
皇室ジャーナリストの江森敬治さんは、
著書『秋篠宮さま』の中で、
川嶋辰彦さんの怒鳴り込み騒動についてこのように述べています。
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その一つが宮さまの結婚前後。
やはり川嶋教授が、
江森敬治 『秋篠宮さま』毎日新聞社 1998
紀子さまが宮さまの子供を中絶したことに怒り、
天皇陛下に「娘をどうしてくれる」と怒鳴り込み、
陛下も二人の結婚をしぶしぶ許したというものだった。
この紀子さまの堕胎説に対しても、
真偽は明らかではありませんが、
真実だとしたら普通の親でも相手方の家に怒鳴り込むのも理解できます。
2回の怒鳴り込み説ですが、あくまでも週刊誌の報道によるものなので、
現時点でも真相は明らかにされていません。
最近、実際の川嶋辰彦さんとやりとりをした
マスコミ関係者の証言を見ていきます。
紀子さまの父親はどんな性格なのでしょうか。
紀子さまの父親(川嶋辰彦)の性格は?モンペ体質?
![紀子さまの父親が御所に怒鳴り込みの理由は?タイ愛人疑惑と堕胎説の真相](https://marublog.biz/wp-content/uploads/2021/10/スクリーンショット-2021-10-24-1.48.07-600x732.png)
2021年9月15日の週刊女性PRIMEによると、
記者のインタビューに答える紀子さまの父親・川嶋辰彦さんの様子について、
このように述べています。
記者が川嶋辰彦さんの自宅に、
インタビューに対するお礼と再度取材のお願いの手紙と、
お菓子を送ったところ、川嶋辰彦さんから記者に電話が来たと言います。
「そちらさまから結構なお品物をお送りくださいました。
誠にありがとうございます」「お詫びを申し上げないといけません」(中略)
週刊女性PRIME
私のささやかな“こうしたい”というお気持ちを、
もしお許しいただければ、
マスコミュニケーション関連の方のお品物は、
理由など関係なく、ご遠慮申し上げるようにいたしております。
ご無礼をお許しのうえ、
ご返送させていただいてよろしゅうございましょうか?」
この後もユーモアたっぷりに川嶋辰彦さんは、
記者とやりとりをしていたと言います。
上記、紀子さまの父親・川嶋辰彦さんの口から発せられる言葉からは、
とても上品で優しく思いやり溢れる言葉ばかりです。
おそらく性格も、穏やかで、
思いやりに溢れる方に思われます。
川嶋辰彦さんの初孫の眞子さまのご結婚で、
今後どのような言葉を発せられるか注目していきたいと思います。
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