中森明菜の若い頃の画像が可愛すぎ!昔から現在を時系列で歌動画比較

現在、体調不良で2018年から芸能活動を休止している中森明菜さん。

5年以上もメディアやファンの前に姿を現していない中森明菜さんですが、

若い頃の歌動画がテレビで放送される度に話題になるなど、デビューから40年以上経った現在も人気は衰えていません。

中でも最近は、10代後半〜20代の若い世代の人たちにも
『中森明菜の昔・若い頃が可愛い!』と再注目
されています。

そこで今回は、
・中森明菜の若い頃の画像がかわいすぎ!昔の画像と動画でチェック!
・中森明菜の幼少期(小学生)時代から、

 デビュー時、黄金時代、そして現在まで40年間を時系列比較
・各年齢ごとのかわいい画像や話題になったテレビ番組動画や当時のエピソード

についてお届けしていきます。

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目次

中森明菜の若い頃の画像が可愛すぎ!【小学生〜デビュー前】

中森明菜の幼少期(小学生時代)

引用元:https://www.pinterest.jp/pin/397161260896659055/

中森明菜さんは1965年(昭和40年)生まれの、58歳(2023年現在)です。

東京の郊外、大田区大森の自然豊かな場所で生まれ、東京都清瀬市で育ちました。

左から2番目が中森明菜さん

中森明菜さんは6人兄弟の5番目の三女として育ち、

兄弟にはみんな父親の中森明男さんの『明』がつき、
「明るくにぎやかな家庭であってほしい」という母親の願いから名付けられました。

明菜さんの妹で一時期、女優としても活動していた
中森明穂(なかもりあきほ)さんは残念ながら2019年に病死をしています。
死因は肝硬変と報じられています。

明菜さんは幼少期の4歳〜14歳まで10年間、
練馬のバレエ教室「横山昭子モダンバレエスタジオ」に通っていました。

明菜さんは自身の曲の振り付けを全て自分でしていることで有名でしたが、バレエやダンスの経験があるからなんですね。

【歌動画】中森明菜16歳(1982年):『スター誕生!』合格

明菜さんは中学時代に、オーディション番組の『スター誕生!』に2回挑戦し敗退。

その後1981年の本戦3回目の挑戦で、
山口百恵さんの『夢先案内人』を歌い番組史上最高得点の392点で合格

上の動画はその最高得点を取りデビューが決まった時の動画です。
当時、明菜さんはまだ16歳で、まだあどけない可愛さがありますね。

当時のことを明菜さんはこう語っています。

【中森明菜】
デビューが決まった時が家族のみんなが喜んでくれて嬉しかった。
芸能界に入って、一番良かった時はこの時だけ。

こう語っていましたが、その後、家族との関係が悪化し、現在は中森家から除籍したと報じられています

11社の会社からスカウトを受け、
所属事務所『研音』、レコード会社『ワーナーパイオニア』とのレコード契約を決めています。

中森明菜の若い頃から現在を時系列画像比較【明菜10代】

中森明菜16歳(1982年):『スローモーション』でデビュー

引用元:https://wmg.jp/akina/discography/5167/

1982年5月1日、中森明菜さんは『スローモーション』でシングルデビューを果たします。

当初、『森アスナ』という芸名が検討されていましたが、明菜さん本人が拒否し本名である『中森明菜』でデビュー。

中森明菜さんのキャッチフレーズ

「ちょっとエッチな美新人娘ミルキーっこ
HとはhealthyのHで、『元気な』という意味が込められていました。
美新人娘=かわいい新人の子 という意味。

明菜さん本人はこのデビュー曲がかなり大好きで、ライブやテレビでもよく歌唱しています。

2023年9月、明菜さんのファンクラブALDEAの会員特典のRADIO内で、
デビュー曲のスローモーションをアカペラで歌ったようで、ファンのみんなは感動していました。

中森明菜18歳(1984年):『北ウイング』

1984年に発売された『北ウイング』は当初、曲タイトルが『ミッドナイトフライト』『夜間飛行』などの候補がありましたが、中森明菜さんの提案で『北ウイング』に決まります。

明菜さんはこの曲のタイトルについて、このように話しています。

(昔からファンの)松任谷由実さんの「中央フリーウェイ」に影響を受けた
短くてわかりやすい曲名の方が覚えやすい。

中森明菜の現在の姿画像

2023年11月8日に、中森明菜さんの「北ウイング」を作詞した林哲治さんの50周年トリビュートアルバムが発売!

そのアルバム内で、中森明菜さんがセルフカバーで「北ウイング」を2023年verとして再収録しています。

10代の明菜さんとは違った大人の「北ウイング」も楽しみですね。

中森明菜19歳(1985年):「ミ・アモーレ」レコード大賞受賞

中森明菜さんは1985年、『ミ・アモーレ』で当時19歳で日本レコード大賞の大賞を受賞。

その受賞の時には、当時まだ健在だった
明菜さんのお母さんの中森智恵子さんが、歌唱中に花束を持って登場します。

明菜さんは大号泣しながら熱唱。
上の動画はそのレコード大賞受賞時の動画になります。

明菜さんの母親は1995年に癌のためこの世を去っています。
明菜さんは母親のことを『お母ちゃん』と呼んでいて、他の賞レースで大賞を受賞した際にもテレビに向かってこう呼び掛けています。

【中森明菜】
お母ちゃん、良かったね〜。
(大賞)とったからね〜。

明菜さんの過去の様々な言動から、
おそらく明菜さんは賞を受賞した際の賞金などは、母親や家族に渡していたのではないでしょうか。

中森明菜の若い頃から現在を時系列画像比較【明菜20代】

中森明菜20歳(1986年):「DESIRE -情熱-」レコード大賞2年連続受賞

前年の1985年に引き続き、
当時女性歌手では初めての2年連続『日本レコード大賞』を受賞。

まだ21歳にもかかわらず、歌手としてトップクラスに君臨します。

左の画像は2度目のレコード大賞受賞時のシーンで、右はその年の年末の紅白歌合戦の時の画像です。

21歳とは思えぬ、貫禄とオーラまでも感じます。

明菜21歳(1987年):『難破船』加藤登紀子から曲提供【動画】

https://twitter.com/koxypssETWOfAnD/status/1564820270803988480

中森明菜さんのシングル難破船(なんぱせん)は、
元々、シンガーソングライターの加藤登紀子さんの作品で、はじめは加藤登紀子さんが自身の作品として歌っていました。

そんな時に加藤登紀子さんがテレビで明菜さんを見て、

【加藤登紀子】
『この人に歌わせたらいいんじゃないか』
『自分が難破船を歌っている時、明菜さんを感じて歌ったことがある』
『明菜さんの22歳の誕生日の時に、インタビューをされて、明菜さんが「別に特別嬉しいとかありません」と言っていて、そこに強く共感した』

と感じ明菜さん側に難破船の曲提供を連絡したと言います。

明菜さんは曲を聴いた瞬間快諾し、次のシングル曲として決定しています。

21歳とは思えない大人っぽさ、落ち着きがありますね。

中森明菜22歳(1988年):『TATTOO』で超ミニスカのボディコンを披露

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