橋本聖子さんが東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長に就任しました。
今回の就任にあたって、7年前のキス強要セクハラ問題が再燃し、新たに実家の借金問題が取り沙汰されています。
その実家の借金、なんと20億円超!と言われています。
そこで今回は
- 橋本聖子の実家はどこ?
- 橋本聖子の両親の職業は?
- 橋本聖子の実家の借金は20億円の中身とは?その借金は現在?
- 橋本聖子の兄弟の職業と年齢は?
などについて詳しくお届けします。
橋本聖子の実家はどこ?両親(父親・母親)の職業は?
橋本聖子さんは北海道勇払郡早来町(現:安平町)の牧場で生まれ育ちました。
実家は牧場を経営していて、両親と4人兄弟の6人家族で、橋本聖子さんは4人兄弟の末っ子として、自然豊かで賑やかな環境で育ちました。
橋本聖子さんの実家は養牛で知られ、父親の橋本善吉さんは『マルゼン橋本牧場』を経営し「牛のハシモト」として知られた牛の仲買商をしていました。
また、後にサラブレッド(競走用に品種改良された軽種馬)のJRA顕彰馬のマルゼンスキー(日本の有名な競走馬、種牡馬)のオーナーとしても知られています。
【名馬マルゼンスキーとは】
マルゼンスキーは、『スーパーカー』と称えられた、生涯8戦8勝の無敗で現在も日本競馬会で最強と語られている日本の競走馬です。
あまりにも強すぎたため、マルゼンスキーが出場するレースにはキャンセルする馬が続出するほどだったようです。
父親の影響で、橋本聖子さん自身も競馬に深い理解があることから、現在は自由民主党の競馬推進議員連盟の会長に就いています。
橋本聖子の父親の借金が20億円超の中身とは?
地元・北海道で名士と呼ばれていた橋本聖子さんの父親の橋本善吉さんですが、なんと借金20億円以上あると言われています。
父親はバブル期に競走馬を生産する牧場経営を拡大。「千歳信用組合」から16億円もの融資を受けたが、返済は滞り、そのあおりで信組は99年に破綻してしまった。
その後も橋本氏の選挙資金と称して知人から2000万円余りを借り、一部を返済せず訴訟沙汰になったこともある。2006年にこの件を取り上げた週刊文春は併せて「父に借金が20億円以上ある」と報じていた。
引用元:日刊ゲンダイ
トータルで借金が20億円以上とは驚きですね。
信用組合からの借金16億円は本来の融資額の2倍以上の金額だったようですね。
金融機関も地元の名士であり、五輪メダリストの父親だったため、回収できることを見越して融資したのでしょうか。結果このことが引き金で破綻してしまっています。
しかもその後も娘の選挙資金と言って知人から2000万円も借りるあたり、あまり計画的な返済などは考えてなさそうな印象ですね。
また借金以外にも、訴訟まで抱えていると報じています。
「債権者との訴訟は他に何件も抱えていたようです。聖子さんは議員活動の傍ら多くの講演をこなし、借金返済に回してきましたが、このコロナ禍ではそれもままならない状況でしょう」(前出の知人)
引用元:日刊ゲンダイ
確かにネット上で橋本聖子さんの講演会のポスター画像が多く見られました。
平日は国会で活動し、週末は講演会で父親の借金返済。しかもこれを6人の子持ち(3人は夫の連れ子、3人は実子)で家事育児をしながらというからスーパーウーマンですね。
まさか橋本聖子さんが父親の借金の肩代わりをしていたとは、かなり驚きです。
父親の善吉さんは2020年10月19日、老衰のため96歳で亡くなっています。
橋本聖子と厳格な父親との関係性は?
橋本聖子の父親は厳格すぎて虐待?
橋本聖子さんはインタビューで父親の善吉さんの性格について、このように述べています。
厳しい父でした。子供は可愛い、だからこそ将来、辛い思いをさせないために父は厳しく接したと、後年母から聞きましたが、それは人によっては虐待と、とられかねないものでした。
「おはようございます!」
挨拶の時は、正座をして三つ指をつかなければいけない。ご飯を給仕して父に手渡すときは、必ずお茶碗に両手を添えて渡さなければ許されない。胃薬でも父が薬のビンに手をかけた間に、水の入ったコップを出さないと強い口調で怒られる。
引用元:MAG2 NEWS
父親に威厳があり、完全な亭主関白の家庭だったようですね。
この厳しい家庭に育ったことも、その後の橋本聖子さんの厳しい選手活動に生かされたかもしれないですね。
家は主にサラブレッドを生産する牧場でした。北海道ですので冬は吹雪ますから、ガレージの扉は開けておく。外出した父が帰宅した時は父の車のヘッドライトが遠くに見えると、家族は急いで外に出て、ガレージの扉を開く。父の運転する車が一度も止まらずに、ガレージに入れるようにしなければ怒られました。
「バカヤロー!! 何やってるんだ!!」
怒られた時の私をにらむ父の目は怖かった。父は絶対に妥協を許さない人でした。出来て当たり前で出来ない時は厳しかった。汚い言葉で叱責されました。時には言葉の前にいきなり手が出て殴られることもありました。
引用元:MAG2 NEWS
今だったら、警察に通報されるレベルの叱責?虐待?です。
しかしこのような厳しい父親に育てられたからこそ、橋本聖子さんも心身ともに鍛えられて長い現役生活と政治活動、6人もの子育てを並行してやってこられたのかもしれませんね。
父親の強い期待に応える『五輪の申し子』橋本聖子
1964年東京オリンピックの直前に生まれた橋本聖子さんは、聖火にちなんで「聖子」と名付けられています。
橋本:「何の種目でもいいからオリンピック選手になれ。」と言われて育ちました。
引用元:日本馬主協会連合会
橋本聖子さんは父親の善吉さんの方針で3歳でスケート始めます。
橋本聖子さん自身も父親のその強い期待に応えるようにスケートの練習に励んだようです。
何事も死ぬ気でやる、それは開拓に入った当時からの我が家の基本なのです。私はそんな気持ちでずっと育ってきたのですから。
引用元:MAG2 NEWS
その努力は身を結び、橋本聖子さんが中学3年の時、全日本選手権を初制覇を果たします。
その後の記録は下記の通りです。出場回数は現在も日本女子最多記録。
【橋本聖子の五輪記録】
- 1992年アルベールビル五輪 スピードスケート女子1500m 銅メダル
- 出場回数は合計7回(冬季大会4回・夏季大会3回)※日本女子最多記録の大記録
橋本聖子の兄弟の職業や年齢、顔画像は?
橋本聖子さんは4人兄弟の末子で、兄が1人、姉が2人いることがわかっています。
兄弟の年齢は明らかにされていませんが、お兄さんやお姉さんとは年が離れていたので、兄弟に対して敬語で話していたそうです。
- 長男:橋本善一(はしもと ぜんいち)
- 長女:高橋睦(たかはし むつみ)
- 次女:小熊あさ子(おぐま あさこ)
- 三女:橋本聖子(はしもと せいこ)
長男の橋本善一さんは、現在昨年亡くなった父親の善吉さんがオーナーをつとめていた橋本牧場を継ぎ、オーナーとなっています。
長女の高橋睦さんは、元北海道議会議員で元衆議院議員・高橋辰夫さん(2001年逝去)の奥様です。
次女の小熊あさ子さんは、橋本聖子さんの政治活動のサポートをされています。お顔もそっくりですよね。⬇︎⬇︎⬇︎